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Labor Unions
- Rapid Rise of Labor Unions in Japan from 1945
- Postwar Japan's first Labor Laws
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- Bloody May Day (May 1, 1952)
- Formation of Sōhyō (Japan General Council of Trade Unions)
- The Rise and Fall of Radical Union Activity
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- The Miike Mine Strike
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- The Spring Labor Offensive (Shuntō)
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- Rengō and the Merger of Japanese Labor Federations
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1952年血のメーデー闘争。デモ参加者に対して銃を発砲する警察官。
写真:毎日新聞社
血のメーデー(1952年5月1日)
毎年5月1日、日本の労働組合と左翼政党は政治的抗議の一環として大規模なデモンストレーションを行ないます。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効した直後のメーデーで、条約反対のデモ隊が使用不許可となっていた皇居前広場に入り、警官隊と衝突しました。警察は催涙ガスを使用し、また武器を持たないデモ参加者に向けて銃を発砲したため、その年のメーデーは流血の惨事となり、多くの死傷者が出ました。憲法に保護された形の政治的表現を行使していたデモ参加者に対して、警察が殺傷力のある武器を使用したのは、戦後日本で初めてのことでした。その後、デモを統制するための警察の手続きは変更されました。警察はデモを監視する際には銃を持たず、1960年安保闘争まで催涙ガスが再び使用されることはありませんでした。 1952年血のメーデー事件のデモでどのように催涙ガスが使用されたかを見るには、下の写真をクリックして下さい。
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