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産業
- 日本車の輸出拡大が国家間問題に
- 自動車産業の国際化、多国籍化
- 日本式生産方式を取り入れたアメリカの自動車会社
- 自動車産業と環境
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ミシガン州にあるクライスラー工場の中。
写真提供:Automotive
Intelligence
自動車産業の国際化、多国籍化
日本と米国の政府が自動車貿易を2国間問題として協議を開始する一方、日本の自動車会社は米国での生産を模索し始めていました。すでに二輪車の米国生産を開始していた本田が1982年にオハイオ州で工場の操業を開始、1983年には日産がテネシー州に進出。1985年にはトヨタがゼネラルモーターズと協力してカリフォルニア州に工場を持ちました。一方、二国間の政府協議は日本側が行政指導により輸出の自主規制をするという結果となりました。政府間の協議がなされる一方で、1980年当初より自動車産業の国際的な再編が始まり、自動車産業における国境を越えた業務提携が進むこととなりました。経営危機にあった米国のクライスラーと日本の三菱自工が、ゼネラルモーターズといすゞ、鈴木が、フォードと東洋工業(マツダ)など日米の自動車会社の業務提携が進みました。さらにヨーロッパ、米国、日本の自動車会社の提携も行われ、自動車産業の多国籍化が進みました。
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言葉の説明:
国際的
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