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労働組合
- 1945年以降の労働組合の急速な発展
- 戦後日本の最初の労働法
- 労働ストライキと生産管理
- 血のメーデー(1952年5月1日)
- 総評(日本労働組合総評議会)の設立
- 急進的組合活動の盛衰
- 企業別組合
- 三池争議
- 日本式ストライキ
- ストライキ権は誰にあるか
- ストライキの種類
- 春期労働闘争(春闘)
- 企業別組合の労使協調
- 国鉄の民営化
- 組合組織の合流による「連合」の結成
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1946年4月12日に生産管理のためのデモをする日本人労働者。横断幕の多くには、「生産管理」と書かれている。
写真:毎日新聞社
労働ストライキと生産管理
1945年から1946年にかけて、経済状況は厳しく、食糧の供給も不足していました。多くの企業は、生産の停止、あるいは仕事を必要としている労働者の一時解雇に踏み切りました。一方の労働者は、労働条件や地位の改善を要求するという新たな権利意識にめざめ、その結果、労働ストライキやサボタージュが徐々に増加しました。 経営者側との交渉が決裂すると、工場の労働者は工場長らを閉め出し、自分たちで工場を自主運営することにより「生産管理」を行うこともありました。生産管理は、1946年前半には200以上におよぶ鉱山、工場、鉄道、マスコミにまで広がりました。 1946年から1947年の労働争議についての情報をさらに見るには、下の「図表」をクリックして下さい。
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言葉の説明:
ストライキ
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