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アメリカ南西部の農場を支えるメキシコ人労働者たち。
写真提供:Inside Chico State
アメリカにおけるメキシコ人労働者
最初の大規模なゲストワーカープログラムは第二次世界大戦中に始まりました。この時期、数千人ものメキシコ人労働者が、多くの場合期間限定の農場者としてアメリカへやってきました。これらの労働者は、スペイン語で腕を意味する「ブラソ」を使って働いたことから「ブラセロ」と呼ばれました。1942年からプログラムが終了した1964年までの間に、450万人以上のブラセロたちがアメリカに働きにやって来ました。これらメキシコ人ゲストワーカーたちは契約が切れた後にはメキシコに帰ることになっていましたが、実際にはその多くがその後もアメリカの南西部に残って住みつづけました。
「ブラセロ」プログラムが終了した後、アメリカで違法に働くメキシコ人農場労働者の数は増え続けました。1997年の時点で60万人を超える労働者が適切なビザを持たずにアメリカ国内で働いていました。メキシコ人労働者の非正規な移民は、アメリカ西部と南西部において社会を揺るがす政治問題になっています。これらの労働者がアメリカ人労働者から仕事を奪うと主張する人がいる一方で、メキシコ人労働者はアメリカ人労働者がやりたがらない仕事に就いており、アメリカ経済において重要な役割を果たしているという声も聞かれます。現在ではおよそ400万人のメキシコ人労働者がアメリカ国内にいると見られています。
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言葉の説明:
第二次世界大戦
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