
|

労働組合
- 1940年代のアメリカにおける労働組合
- 冷戦中のアメリカの労働組合
- アメリカにおける公務員労働組合
- ストライキ活動の衰退
- アメリカの労働組合組織率
- 労働権法
- 組合の種類
- アメリカ労働総同盟産別会議AFL-CIO
- アメリカにおける労働協約
- アメリカにおけるストライキ
- ストライキ中に起こること
- 長期ストライキと暴力
- 1964年公民権法
- 組合の選挙運動寄付金と政治的影響力
- 労働組合と政治
- 1990年代と今日のアメリカの労働組合
- 重要な労働組合指導者たち:ジョージ・ミーニー
- 重要な労働組合指導者たち:ジョン・L・ルイス
- 重要な労働組合指導者たち:ウォルター・ルーター
- 重要な労働組合指導者たち:A・フィリップ・ランドルフ
- 重要な労働組合指導者たち:ジミー・ホッファ
- 重要な労働組合指導者たち:セサル・チャヴェス
|
1907年に生まれ、16歳という若さで見習い工となったウォルター・ルーター。
写真:Spartacus Educational
重要な労働組合指導者たち:ウォルター・ルーター
ウォルター・ルーターは、1946年から亡くなる1970年まで全米自動車労働組合(UAW)の会長を務めました。ルーターの組合における経歴は、彼が自動車産業で組合を組織する運動に積極的に参加した1930年代に始まりました。1937年には彼はUAWの幹部となり、労働運動の重要な指導者のひとりとなりました。第二次世界大戦中に、彼は自動車工場を利用して軍用機を一日500機生産すると申し出て全国的な注目を浴びました。労働組合の長であった間、ルーターは数多くのストライキを率い、結果として不安定・低賃金・パートタイムの仕事であった自動車産業での雇用をフルタイムで高賃金の仕事に変えました。ルーターの指導のもとでUAWの組合員数は150万人まで増加しました。1952年、ルーターは産業別労働組合会議(CIO)として知られる労働者同盟の会長に選ばれました。1955年には、全国最大の労働者同盟であるAFL-CIOを設立するため、ジョージ・ミーニーの率いるアメリカ労働総同盟(AFL)とCIOの合併に尽力しました。ウォルター・ルーターはまた有力な民主党員でもあり、民主党のジョン・F.・ケネディ大統領とリンドン・ジョンソン大統領の顧問をつとめました。1960年代初頭、彼はふたりの大統領と連携してアフリカ系アメリカ人の市民権を獲得し、貧しいアメリカ人の生活向上のための社会福祉関連法案を議会で通過させました。
|
言葉の説明:
産業民主主義
|
ポッドキャスト ダウンロード:
英語
| 日本語
|
文書 |
ビデオクリップ |
図表 |
写真 |
地図
|
|