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赤く発光しているチップを持った指のクローズアップです。
プラカードを持ち鉢巻を締めた背広姿や作業着姿の男性がたくさん集まっています。
労働組合
  1. 1945年以降の労働組合の急速な発展
  2. 戦後日本の最初の労働法
  3. 労働ストライキと生産管理
  4. 血のメーデー(1952年5月1日)
  5. 総評(日本労働組合総評議会)の設立
  6. 急進的組合活動の盛衰
  7. 企業別組合
  8. 三池争議
  9. 日本式ストライキ
  10. ストライキ権は誰にあるか
  11. ストライキの種類
  12. 春期労働闘争(春闘)
  13. 企業別組合の労使協調
  14. 国鉄の民営化
  15. 組合組織の合流による「連合」の結成
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警察官がデモ参加者に対して銃を発砲しています。
1952年血のメーデー闘争。デモ参加者に対して銃を発砲する警察官。
写真:毎日新聞社
血のメーデー(1952年5月1日)
毎年5月1日、日本の労働組合と左翼政党は政治的抗議の一環として大規模なデモンストレーションを行ないます。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効した直後のメーデーで、条約反対のデモ隊が使用不許可となっていた皇居前広場に入り、警官隊と衝突しました。警察は催涙ガスを使用し、また武器を持たないデモ参加者に向けて銃を発砲したため、その年のメーデーは流血の惨事となり、多くの死傷者が出ました。憲法に保護された形の政治的表現を行使していたデモ参加者に対して、警察が殺傷力のある武器を使用したのは、戦後日本で初めてのことでした。その後、デモを統制するための警察の手続きは変更されました。警察はデモを監視する際には銃を持たず、1960年安保闘争まで催涙ガスが再び使用されることはありませんでした。 1952年血のメーデー事件のデモでどのように催涙ガスが使用されたかを見るには、下の写真をクリックして下さい。
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